高層ビルの谷間に沈む新橋のネオン。
スーツの襟を正しながら歩く男がいた。
名前は斉藤タカヤ、38歳。
某大手広告代理店の営業部次長。いわゆる「勝ち組」の男だ。
六本木のラウンジ、銀座のクラブ、地方の高級ソープ――
金に糸目はつけないが、すでに多くを経験し尽くしていた。
だが、今夜。
彼はまだ知らない。
自らの価値観を根底から覆す“快楽の沼”に堕ちてゆくことを――
「……ミルクルーム?」
背の高いビルの一階、重厚な扉の前に立ってタカヤは小首をかしげた。
親友の矢野に半ば強引に教えられたその店は、一見、マッサージ店のような外観だった。
矢野は言っていた。
「タカヤ、お前はまだ“出る女”を知らない。
ソープもSMもキャバクラも、全部“前菜”だ。
“本物”を味わいたいなら、あそこに行け」
“出る女”――母乳が出る女。
最初は眉をひそめた。
だが、脳裏にこびりついた「本物」という言葉が、理性を侵食していた。
扉を開けた瞬間、かすかに甘い匂いが鼻腔を撫でた。
ミルクとバニラと女の汗が混ざりあったような、なんとも言えない香り。
受付にいた女性が微笑んだ。
「いらっしゃいませ。初めてのご利用ですね?」
「……はい」
「ご案内します。“ひなた”でよろしいですか?」
「ひなた?」
「当店で一番人気の“出る子”です」
個室は、照明を落としたシンプルな和室だった。
桐箪笥と座椅子、そして真新しい白いシーツのベッド。
やがて、襖の向こうから足音が近づく。
静かに戸が開くと、そこには――
「こんばんは、ひなたです」
柔らかな笑顔と、豊満な身体。
それでいてどこか母性的な雰囲気を纏った女が立っていた。
年齢はタカヤより少し下か、同じくらいか。
だがその身体は、若い女のそれではなかった。
産後の丸みを帯びた腰。ふくらみすぎた胸元。
そして、その先端から――薄く滲む、乳白色の液体。
「……本当に、出るんだな」
タカヤの声は、知らぬ間にかすれていた。
「ええ。……いっぱい出ちゃうの、まだ止まらないの。
だから、いっぱい飲んでくださいね?」
その言葉に、タカヤの奥底に眠っていた何かが、崩れた。
最初は、お湯のように温かく、少し甘い液体だった。
だが飲むうちに、体温とともに喉の奥に広がる濃密な旨味が彼を包み込む。
「ん……上手。そんなに強く吸ったら……また出ちゃう」
ひなたは恍惚とした表情で、彼の頭を撫でた。
その手が、母のようでもあり、娼婦のようでもあった。
「……どうして、こんなことが……こんなに……」
タカヤは自分の鼓動がいつのまにか早まっていることに気づいた。
射精もしていない。抱いてもいない。
だが確かに、“満たされて”いた。
「もっと……ほしい」
自分の声が震えていた。
母乳が口の端からこぼれ、頬を濡らす。
彼の眼はすでに、獣のそれだった。
「あなた、寂しかったのね」
ひなたが囁くように言った。
その声は、タカヤの内側に触れるような優しさを帯びていた。
「母乳ってね、出すだけじゃなくて、気持ちも出てるの。
だから、飲んでくれると……私も、すごく癒されるのよ」
「……そういうもんか?」
「うん、そういうもんなの」
ひなたは笑った。
そして、もう片方の胸をそっと差し出した。
その瞬間、タカヤの理性は完全に崩壊した。
彼はそれにむしゃぶりついた。
犬のように、飢えた子供のように――
いや、“帰る場所”を見つけた男のように。